慈悲という祈り

仏陀の教えの真髄とは何かというぶしつけな質問をさせていただいた時、

                                              

仏陀の教えの真髄は......これは長くなりそうだなあ......と思案しておりましたら、即座に「祈りだよ」というお答えがありました。

直接ではないにしろあれだけの経典が残っている仏教ですので、仏陀はさぞかし 論理的に広く深い教説を施されたのだと思っておりましたが、

                                       「確かに仏陀が説かれた教えは広大な範囲に及んでいるが、その真髄は祈りだよ」
                                        これを教えてくださったのは、当時仏陀の一香近くにおられたアナンであった五井先生でした。
                                      「それは慈悲という祈り」
                                       と御教示いただいて、読み返しますと、今もその時と同じように胸と目頭が熱くなります。
                                       慈悲とは何でしょうかと仏陀におたずねしたくて、あれからずっと瞑想をしています。
私の瞑想のレベルは浅く、自我が少し薄くなった程度ですが、それでも世界平和の祈りを瞑想でずっと祈っていますと質問したいと思うことが時々出てきます。
                                        慈悲は、真我の一元性と等しい形質を担っており、非常にピュアで美しい統一体の姿を連想させる(何も見えないが)。
                                        覚醒をこの三次元で云々する際に「慈悲」という概念は本質的に真我と密接に関連しているのではないか。
                                       仏陀がそれを教えられたのは、真我への完全覚醒のためのメソッドの側面があるからで         あろうか。方法論というようなことをしかし仏陀はそれにこめられるだろうか。
                                       善悪二元が止揚され一元となる際、慈悲という一元のエネルギーが働くのだろうか。
(「仏陀や五井先生には裏も表もないのです。表で人を救おうが裏で救おうが彼らにとっては「まったく同じ」なのです。その大きさに、その無窮の愛に、その真実を知った者は圧倒されてしまうはずです。しかしその広大な慈悲を知るものがいないのも事実です」と教えていただいているが)                          
 
ヤツメカワウソさんへの返信から
真我は、心では無いと思います。心はすでに分化した後のものだと思います。真我は次元が違う。無と同義では無いでしょうが、存在では無いでしょう。今日((2023/12/03)瞑想で思いついたのは、仏陀がオーム宇宙で説いた慈悲が真我と本質的な関連があるのだろうということでした。しばらく考えてみます。
                                       
2017・9・9のhami様への御教示
 
「この宇宙はそもそもが
「攻撃的」
「収奪的」
「無慈悲」
なものなのです
それを人間の情を基準に
さも何か有りなんとした幻惑の中で生きているのが人間です
その「惑い」を脱却するまでは
人はこの宇宙で生きていくしかないのです」
                                                 
この「惑い」を脱却することと「慈悲」はどのように関連するのか考えていますが、難しいですね。                                 
攻撃、収奪、無慈悲に対し、同害復讐で臨めば、戦争しかありません。自他の分化を促進します。 
「慈悲」が、同化を進めるものであれば、最強です。
                                                           
これまでのペンギンさんのご投稿を今読み返していたら次の文章に出会いました。
「 仏陀はこの宇宙の64回の爆縮のサイクルのうち、確か34回(今手元にデーターがないので正確でないかもしれませんが、ほぼこの数字です)を監督としてやっておられます(仏陀は地球の総監督というだけではなく、宇宙全体の総監督でもあったのです)。
その仏陀の究極のテーマが一貫して「慈悲」でした。
今回の文明で多くの経典を残された仏陀ですが、それらをまとめて総括するならば、その真髄は「慈悲」なのです。
仏陀のすべての教え、すべてのメソッドの上にあるものが「慈悲」だということです。
それを五井先生が「宇宙全史」質疑応答2の中で教えて下さっています。
「慈悲」という言葉は私たち凡人には中々とらえどころのない概念かもしれませんが、その広大な流れに飛び込んでしまうのも一つのチャレンジかもしれません。
「戦士の生き方」と「慈悲」は全く違う概念のようですが、実はそこに流れる「非情さ」というベースでつながっているのですが、それはまたいつか機会があれば詳しくお話しいたします。」
                                       
                                       
2012/8/26 No.1596 ふぁるこんパンチ様への御教示
地球界における覚醒・解脱・卒業の在り様①
                                       人類の今回の文明(約12,000年前に始まっています)における基本的な教えのすべては、仏陀によってもたらされています。
あのニサルガの実存に至った覚醒さえも、仏陀の教えの中に包含されていました。
しかしその教えのすべてをマスターし、人々に正確に伝えることができた人物は一人としていなかったのです。
そこで仏陀亡き後、弟子たちは結集して各々の得意分野だけを後世の人々に伝えていくことにしたのです。
それがのちの仏教の各宗派となっていますが、あらゆる宗教、精神世界は大きく分けますと以下の3つになります。                          
                                       ①人間を守護する諸天善神(守護霊や守護神も含まれます)にその身を全託し、その加護と恩寵によりカルマ(エゴ)を軽くし、天命を全うする
                                       ②この世界の構造を解明してその虚構を明らかにし、マーヤ(幻影)から目を覚ます
                                       ③現実世界に隠されている秘密のエネルギーを見つけ、現象界において生身のままで自由と叡智と力を獲得し、さらに力を蓄えたものはこの地上界からさらなる自由を求めて旅立つ
                                       これが仏陀の基本的な教えですが、①がイエスや法然などが説いた祈りの教えとなり(イエスは時間的に仏陀より少し過去の方ですがカテゴリー的にはここに入ります)、②がインド系の覚醒メソッドや禅になり③が密教になっています。
もっと細かく分けることもできますが、基本はこの3つです。
そしてこの下のNo232に書いた①カルマをクリアする②ニサルガのやり方③ドン・ファンのやり方・・・に対応します。
①と③はそれぞれかなり特殊なやり方で、普通の人々には中々適応できないメソッドになっています。
そこで観音系の道筋として①の大多数の方たちが行じる事ができる救いの道として「祈り」の形を教えているのです。」


フロイトと自我(エゴ)

ジグムント・フロイトはご存じの通り、精神分析を創始した精神科医ですが、彼の「自我」と邦訳される原語は"Ich"です。これは英語のI(一人称のアイ)と同じ言葉で、私という意味です。

自我と訳されているのは、公式の英訳がIではなくegoになっているためで、これははっきり言って別の言葉になっています。

フロイトはエゴという言葉を使っておらず、私という日常語を述語化して使用しています。そしてフロイトの言う「無意識」はEsであり、これは英語のItになり「それ」という意味になります。

ですから、"I am That"は”Ich bin Es”になり、これをそのまま訳すと「私はそれ(無意識)です」となりますので、少し言葉から考えさせられます。

 

2013/5/30 No.1794の御教示です。
「izuwo様
●「エゴを薄めていって、自己を滅却したならば、私は何になるのですか?私はどこにあるのですか?」
あなたはどこにも存在しなくなります。
あるいはあなたはすべてに遍満します。
あなたは彼であり、彼女であり、樹木であり、動物たちであり、この地球であり、この宇宙であり、この宇宙をも超えたものだと知ることになります。
よくあるたとえ話ですが、自分を乞食と思い込んでいる王子様が、何かのきっかけで「自分は王子だったのか」と気づく時が覚醒です。
私たちは本来自由で軽やかで、冒険に満ちた愛そのものの存在なのですが、地上にしばりつけられ、実体のない欲望に取りつかれてしまっている「乞食」だと思い込んでいます。
あなたは自己を滅却したとき、王子様に戻る・・いやずっと王子だったことに気づくだけなのです。
●「なぜ、人類は理解不能で知りもしない愛というものを求めて、知ろうとしてのたうち回っているのでしょうか」
私たちはそこから始めなければならない存在なのです。
そこからしか理解できない在り様にまで落ちてしまっています(地球ではこれまでにもアセンションが何回もあり、そこでデセンションしてきた人たちが私たちなのです)。
何度もいいますが愛は理解不能ではありません。
それは世界がある限り(どんなにレベルの低い世界でも)形を変え、その世界に応じた有り様に適した愛となり(この前お話ししましたのは母性でしたが)皆様の前に顕現しています。
それを見つけるかどうかは皆様次第ですが・・
●「エゴである自分もわからない」
あなたご自身がエゴなのです。
他にエゴはありません。
①悪い自分をエゴだと思う
②自分勝手な思いをエゴだと思う
③人とうまくやれない自分をエゴだと思う
それらはすべてエゴではあるのですが、エゴの一部、表面的なものにしかすぎません。
「エゴとは何か」
と考えるからわからなくなってしまうのです。
エゴはあなたなのです。
あなたそのものがエゴです。
しかし最初は①~③のような感じで始められるのがいいかもしれません。
「エゴとは自分のこと」という命題は、禅の坊さんがある程度修行を積んで、高度な考案を突き付けられたときに取り組む命題です。
がんばって下さい
虚空蔵55」
と教えていただいているところとリンクして、先ほどのことを最近考えています。

人類が獲得すべき形質について

 

「宇宙全史1」の340pに、白亜紀末に下ろされた男女10組に植え込まれた形質は

 

   好奇心

 

   猜疑心

 

   冒険心

 

   共感する心

 

   同情心

 

   自己顕示欲(自立心)

 

   愚鈍さ{自信のなさ・愚かさを含む)

 

   探究心

 

   執着心

 

   中立心

 

であり、この10の形質が今の人類の大元となっていると記載されています。

 

また345pでは、人類が獲得すべき形質として、「先ほど人間に与えられた10の形質の詳細」が述べられていますが、その内訳と順序が上と異なっており、

 

1(+)好奇心(生命のほとばしり)

 

2(-)慎重さ. 猜疑心( )

 

3(+)冒険心. 勇気(無鉄砲さ).恐れを知らない生き方. 蛮勇

 

4(-)共感する力(自信がある同情)ナイーブさ. 繊細さ. 神経質

 

5(+)執着心. 自己顕示欲(エゴ)

 

6(-)同情心(自信がない共感)

 

7(+)探究心(明晰性)

 

8(-)愚鈍さ(迷い. 躊躇. 落ち着き. 腹が据わる)

 

910(+・-)中立心( これが910).自己否定. 肯定のゆらぎ

 

となっています。

 

「地球の魂」「集合魂の上位の魂」

大切なお知らせNO5
                                            

今回は五井先生という存在が残された「世界平和の祈り」という平易でありながらはかりしれない力を持つ祈りの秘密を開放していきます。

                                            
その前にひとつ明確にしておかねばならない世界構造があります。
それは「宇宙全史」第一巻ではある程度ご紹介しておきましたが、魂のありように関することです。
私たちの魂というものの定義は、あまりハッキリとはどなたもご存じないと思います。
どこの精神世界のカテゴリーでもキチンとした定義というものは書かれてないはずです。
それを宇宙全史では「集合魂」という領域にまで突き詰め明らかにしておきました。
                                   
                                   
①「個人的な魂」・・・これが私たちの個的な肉体に対応する魂です。
これは肉体の上位レベルに魂魄体(こんぱくたい)、幽体、霊体(神智学言語で記述しますと、エーテル体・アストラル体・メンタル体・コーザル体となります が、メンタル体・コーザル体は霊界の下位と上位という区分になります)という身体があり、その身体に対応した主体がそれぞれ魂といわれるものになります。
たとえば本来なら肉体の魂はそのひとつ上の魂魄体にあり、そこからの指導が肉体を導くようになっています。
しかし学びが進化していきますと魂魄体の魂(指導)は、幽体の魂に、そして霊体の魂へと変遷していきます。
今現在の私たちは本来なら肉体の上位の魂(魂魄体)に指導を受けていなければならないのですが、実際は肉体そのものの主体(エゴ)の思うままに動いてしまっているというのが現実です。
ですから少しでも上位の指導を受けやすくするために、エゴを薄くしていくという作業が切実に求められているのです。
                                            
②「集合魂」レベルの魂・・・さてお話しましたように個的な魂は様々なレベルがあるのですが、そうした個的な魂の似通ったもの(性向性が同じもの)が集まってひとつのまとまった集団になっているのが集合魂と呼ばれるものになります。
その集合魂がこの地球界の生命構造の基本となっていることはやはり「宇宙全史」第一巻でも書いておきました。
そしてその集合魂は霊界の上位レベル・6次元界(阿頼耶識界・あらやしきかいともいいます)に存在しており、そこから私たちは地上に肉体として降りてきています。
ここまでが「宇宙全史」第一巻での記述でした。
そしてここからが新しい魂の構造なのですが、やはりあまり簡単に書くことは出来ないのですが、現状やむを得ないないので書いておきます・・・本来はかなり複雑にオーム宇宙の構造と結びつた概念となっています。
まず皆様にとっては考えづらいかとも思いますが「集合魂は一個の魂とみなす」という構造をイメージしてみてください。
逆にいますと私たちの個的な魂とは「集合魂という一個の大きな単位から地上につかわされた(送り込まれた)ひとつの特徴ある部分(形質)である」ということなのです。
このイメージはエゴ(表面意識)には中々受け取れないかもしれませんが、実際はそうなのです。
本来ならここでカスタネダ描くところの「イーグル」と呼ばれる私たちが死んだ時に吸い込まれていく(食べられる)巨大な存在のお話が挿入されるのですが、今は煩雑になるので飛ばします。
つまり私たちは「集合魂」と呼ばれるひとつの構造物の一片(小さな部分)にしか過ぎないということです。
まずはここを理解しておいて下さい。
                                            
「集合魂の上位の魂」・・・これが私たちのワークでは初めて出てくる構造です。
現在述べている情報は本来「宇宙全史」の本文で語られるべき内容です。
そのため付随する詳細な補填文章が必要ですが、緊急事態のためにかいつまんでお話しております。
そのことはよくよく頭に入れておいて下さい。
集合魂の上位にある魂とはどういうものなのでしょうか。
一言で申し上げますと「地球の魂」といえるかもしれません。
「地球の魂」・・・それは地球という惑星を含む、そこに生存するあらゆる生命の総体が帰り着く、あるいはそこから派生した源ということでもあります。
「宇宙全史」第一巻で詳細にお話しましたように、この宇宙の各方面から集められ、集まってきた私たちが、地球で学ぶということを始めるにあたってひとつの目的集団としての魂に帰属してしまうのが理(ことわり)になるようです。
その根源的な魂から各集合魂が派生し、そこからまた個々の魂が地上に降り立つという図式になっているのです。
(いいかたの問題ですが、その地球界の根源的な魂から集合魂が派生したのか、集合魂がさらに集まって根源的な魂に統一されたのかは定かではありません
                                            
以前ここで私に五井先生が「美しい約束」という言葉を降ろされたことがありました。
その「美しい約束」の詳細はいまだ不明ですが、その約束はこの地球界の根源的な魂と交わされたものだということです。
そして世界平和の祈りは、この約束を元に、この約束を成就させるよすがとして地上に降ろされたものでもあったのです。
JUMU(じゆうむ・自由夢・・・「宇宙全史」第一巻参照)はこのワークではよく登場してきますがエル・ランティやサタン、それに世界中あちこちで出てく る多くの神々たちが皆様方を導こうとして努力していますが、それは阿頼耶識(6次元)界以下のカテゴリーでのお話なのです。
(JUMUという組織が中々ご理解いただけないようですが、これはある意味地球界における政治団体・・・国連組織のようなものだとお考えください。もっとも彼らが地球界の魂たちから選挙で選ばれたということはなく、自薦でみなJUMUに入ってきていますが)
たとえばエル・ランティは皆様を救おうと日夜努力していますが、その「救い」は、彼自身が神(全知全能)になることで成し遂げられます(彼はそう信じています)。
ですからまずは自分がエネルギーを得る、力を得るということを最重点課題に持ってきています。
そのためにはすでに書いておきましたように様々なことをしでかしています。
たとえば地球界での最大勢力となるために、地球に来た時にパイトロンというマシンで部下の魂を出来るだけ細かく分断、分解しています。
エル・ランティはJUMUの一員ですが、そこで主導権を得るには最大派閥になることが必要なのです。
どうやらむこうでも地上と同じく多数決の原理がまかり通っているようです。
そこで彼は手っ取り早く付き従う者たちの魂を分裂させて数を増やしたということなのです(もちろん分断された魂がどうなるかは彼の知ったことではないようですが)。
そうすることで彼が力を得る・・・つまりは神になるということにつながると思っています。
この地球界の3分の1の魂は、そういうエル・ランティに付き従っている、彼を信奉しているというのが現実です。
他の神々もまったく同じとはいいませんが、ほぼどんぐりのせいくらべ状態です。
それはまた6次元以下のレベルでの抗争・勢力争いでもあるのです。
そのレベルにはいまだ力、形、欲得、自尊心というものが幅を利かせています。
そこに多くの存在がアイデンティティ(存在意義)を見出そうとしていますし、生き甲斐ともしているのです。
                                            
私たちはすべからく学ぶということによりその領域を脱する宿命を負っていますが、あくまでもその領域の中での学びでもあるということがあります。
しかし五井先生の「美しい約束」は、そのカテゴリーをはるかに越えたところで交わされた約束であり、地球界における真に純粋な祈りでもあったのです。
ですからその祈りを私たちのエゴが判断する限りは、どこまでも理解できない「そんな祈りがなんになるのか」という理解しか得られないようになっています が、五井昌久という存在にスッと素直に入っていける方にとっては、形(力やお金、地位や名誉、美醜もそうですが)しか見えない世界、弱肉強食の世界、後生 大事に自尊心だけを握り締めている世界などからの脱出するためのメソッドとエネルギーが手に入れられるチャンスになるのです。
(少しフォローしておきますと6次元以下の世界であってもエル・ランティの存在のようなものばかりではなく、その範囲の中で(皆さんの欲望の中で)の願望 をかなえることで上の世界の恩寵(おんちょう)に気づかせるというやり方をしておられる方たちもたくさんおられます。問題はそれがどこでそういう存在とエ ル・ランティたちのような存在とを見分けるのかということですね)
今回この宇宙が終わるにあたって、皆様の最終学歴「人(他の存在)のために祈れるか」というところにあります。
そしてそれがエル・ランティのような存在と本当の慈悲心を持った存在とを見分ける鍵ともなっているのです。